グルメシティ関東

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グルメシティ関東

グルメシティ関東, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=958323 / CC BY SA 3.0

#関東地方のスーパーマーケット
#かつて存在した東京都の企業
#ダイエーの歴史
#イオングループの歴史
グルメシティ関東

株式会社グルメシティ関東(英称:”gourmetcity Kantō”)は、かつて存在した日本のスーパーマーケットチェーンを運営する企業。本社は東京都板橋区の、かつてダイエーの本社機能があったダイエー成増店建物内にあった。関東地方、東海地方に「グルメシティ」「フーディアム」を展開していた。

ダイエーの完全子会社であったが、2015年3月1日にダイエーに吸収合併され消滅した。

前身は株式会社セイフーで2006年3月1日付で、ダイエーグループの食品スーパーを運営する5法人(株式会社ダイエーも含む)が店舗名をグルメシティに統一するのを前提に、社名を株式会社グルメシティ関東に名称変更した。

社名変更から随時、「セイフー○○店」から「グルメシティ○○店」への店名変更と、看板のダイエー旧ロゴによる「Seifu」表記から新「gourmet city」ロゴに変更を進め、フーディアムになった三軒茶屋店を除き、2007年5月までに全店舗の変更が完了した。

ダイエー系のスーパーマーケットとしては24時間年中無休営業や深夜営業を率先的に実施している。また旧:ダイエー系のスーパーマーケットのマルエツから譲受した一部の店舗もグルメシティ関東が運営していた。

長らく、特売のチラシで集客を行ってきたが、コストなどの面から通常の店舗よりも安く、いつも同じ値段でチラシの配布が不要のEDLP業態に本格的に参入、既存店舗のEDLPへの転換を進めてきた。

2015年3月1日にグルメシティ近畿と共にダイエーに吸収合併され消滅し、グルメシティとフーディアムの全店舗がダイエー直営となった。

1932年10月、青山早次郎が青山商店を創業したのが始まりである。その後、卸売部門となる株式会社青山商店とスーパーストアー部門の株式会社青楓チェーンを立ち上げチェーン展開を開始。出店を重ね、首都圏での中堅スーパーとして安さを武器に大手スーパーを相手に互角以上の戦いを挑んでいた。

ところが1969年からサウナ、レストラン、マンション経営等の経営多角化が災いし、業績が一気に悪化。第一勧業銀行(以下、第一勧銀)の下で再建を行うこととなった。一時期は大手スーパーのジャスコと商品提携するも効果は稀薄で1年も経たずに解消した。

1979年、ダイエーが青楓側に業務提携を申し入れたが、再建パートナーの第一勧銀側が難色を示したため計画は頓挫。1980年1月に再度ダイエーが申し入れを行った結果、ダイエーと業務提携を結ぶ。この提携は、ダイエー側の80年度の重点政策であった業務提携の第1弾となり、青山社長含む創業者一族の辞任と、青楓の総発行株300万株のうち、青山社長の持ち株66万株含む22%をダイエーが収得すること等が決められた。この時の青楓の所有店舗数は53店舗。

1981年、社名を株式会社セイフー(本社:東京都葛飾区青戸)に変更。同年ダイエーがセイフーと同じく東京で食品スーパーを展開していたオーケーと全面提携。セイフーが累積赤字を解消し単年度決算で黒字となった時点でオーケーと合併計画だったが、再建が進まず、この計画は自然消滅している。

首都圏を中心に店舗を展開してきたが、ダイエーが新潟県のやませ、静岡県のトウアといった地場スーパーと業務提携を行っていたこともあり、前述の2社の営業権をセイフーが獲得し、中部・東海地方に進出。更に1996年、資金繰りの悪化したヤオハンジャパンから店舗の一部を買収し勢力を増やした(ヤオハンは翌1997年に会社更生法の適用を申請)。

2000年6月1日付で、休眠会社であったトウアを、旧:ヤオハンの大型店舗の運営のために復活させた東海ダイエーと、ダイエーに合併された忠実屋の傘下にあったシヅオカヤを吸収合併した(シヅオカヤは、忠実屋がダイエーと合併後にダイエーグループの一員となった)。

2006年3月1日、ダイエー系食品スーパー5法人(株式会社ダイエー含む)が店舗名を「グルメシティ」に統一するのを機に、社名を「グルメシティ関東」に変更した。なお「グルメシティ」は、以前からダイエー直営の小型店舗の名称及びセイフーの一部店舗の名称として使用されていた。

株式会社シヅオカヤ(英称:”Shizuokaya”)は、かつて首都圏を中心にスーパーマーケットを展開していた会社。

萩原一族が営業を開始した新宿駅前の販売店が発祥で、その後、スーパーマーケット事業に参入。株式会社を設立し、1号…